生駒大祐 句集『水界園丁』鑑賞
葛飾に来て外套の金釦
…厚地のコートに光る金の釦。
少し古風な装いが瀟洒。
遠い万葉集に詠まれた頃の葛飾にも思いを馳せるのでしょうか。(まめ)
鯉呼べば子供の来る氷かな
…気付くと傍で、鯉を見ている子供。
親が屈んで子に頬を寄せ、池に向かって手を叩くと小さい手が真似をする。
雛鳥のようなふわふわのセーターの子が親を温める冬の日。 (まめ)
針山の肌の花柄山眠る
…きれいな端切れで包み替えた針山の、中身は髪の毛。綿ではない。縫い針を扱い易くするその頃の知恵とか。
縫い物の女と縁側から見える山は、しんとして、針山の花柄が時々針を刺されながら、やはり沈静している。 (まめ)
門枯れて名前が少しづつ違ふ
…親や祖父母の名の一字を貰ったり、生まれた順に漢数字が付いていたり。郵便受けに貼られた名簿には赤ん坊の名も。
家長が彫らせた表札を、掲げる門の内は束の間賑わい、幾人かがそこを出た。
名簿は取払われ表札は古びた。 (まめ)
冬しんと筑波はうすく空を押し
…三味線の二上りの短い間奏に続く、
〽️筑波嶺の峰より落つる水筋の (長唄『風流船揃』)
…唄の出だしは百人一首からとっている。
長唄も和歌も恋が主題だ。
空より薄い色に静まる筑波も冬が去れば、清らに滴るだろう。 (まめ)
せりあがる鯨に金の画鋲かな
…壁に留めた鯨の画はイコン
巨きく、あらまほしき姿の
一頭の Paper God
捕獲され利用され残骸と
なっても
丸いきれいな魂のまま
人間は其れに祈る
(まめ)
枯蓮を手に誰か来る水世界
…枯蓮を持つ人は供奉人に見える。
向かうのは水面に漣ひとつ立たぬ、音の無い祭。
常世なら蓮は枯れぬから、それは現世の私達の傍の風景。(まめ)
薄紙が花のかたちをとれば春
…人は薄紙の花を花と思い、人間をも花と思う。
儚い薄紙の色形に命を見、血潮流れる肌に花びらの艶と香を求める。
失われる花を哀れんでも自ら花になろうとせぬ人の目に繰り返し、新しい花が現れる。(まめ)
日の沈む音の聞こゆる梅見かな
…梅の周りの白い陽光の翳りを見て、それまで梅園を巡っていた私がそこを去る間際に梅は、最もきれいだった。
私も梅のように春の没日の音を聴いた。(まめ)
歯の色の沈丁ひらく都かな
友失せぬ欅を楡を置き去りに
…並んで歩く二人の声を欅や楡が聞いている。私がそう言うと「そうだね」と、友が言った(その声も樹間に吸われた)。
それから間もなく友の新しい声を木と私が聞く事は無くなり、林に残された私は声を失った。
(まめ)
鳥たちのうつけの春をハトロン紙
…恋の季節の美しい雄の、狂おしく雌の気を引く囀り。恋ゆえに少しおかしくなるのは鳥だけではない。身を飾り言葉を投げかける。その仕草無しに得るのは恋では無い。若いうつけの眩しさ。(まめ)
陰日向吉野と聞けば馳せ参じ
…花は天体を思いのままにする。群れて咲く圧倒的な姿を見せつける昼の花、その影が地に揺曳する月の夜。散る時は風や雨を起こし花屑を中空や水面に移す。花屑の行方を追って家に帰らぬ者が出るのも不思議ではない、春。(まめ)
舟にゐてとほくに夏の舟があり
…櫂ひとつで漕ぎ来て新しい小舟に移る。今度は夏を連れた旅。月蝕の下、舟唄を聴かせよう。(まめ)
心中のまづは片恋たちあふひ
…自分が何に包まれているか、ずっと気付かずにいた。それは相手に与えた自分の軽蔑より大きく、目に見えない侮蔑だった。傍目にどちらが勝者に映るかなど構わず今、目の前の一人に諾う。(まめ)
かげろふや天才にして長き生
抜く釘のおもはぬ若さ雁渡る
…身に収まらぬ質量と熱量を零し、辺りを傷つける早熟の者達。渦巻く妬心と怒りが天才の生の中断によって行き場を失い、安堵の混じる憐憫に代わる。しかし死ぬまで生きる事は誰も同じ。後世の評判を気にする暇もなく、早逝した天才の輝きは彼等だけのものだが、生の冒険の時間に自分の色を添える事は誰にも可能であろう。(まめ)
ゆと揺れて鹿歩み出るゆふまぐれ
…日の暮れる野に結界を張る如く泰然とした鹿。あれは昼間エサをねだりに寄ってきた一頭だろうか。神の現れる時間が鹿に近づいている。(まめ)